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「学校に行かない・行けない」をサポートする

とは?
わたしもわたしの友人も「不登校」という言葉を使わず「学校に行かない」という選択をした子どもたちという用語をよく使います。さまざまな「不登校」について書いている人たちの本を読んだのですが、この定義より良い言葉が見つかりません。
周囲の人々がそうなので「学校に行く」という選択肢しか知らない、あるいは気がついていないと、行かないことが大きな不安のもととなり、「不登校」というちょっとネガティブな言葉と相まって、なんとなく後ろめたい心の状態になってしまいます。
でも、「行かない選択肢もある」「他にもたくさん可能性を広げてくれる機会がある」ということがわかれば、今、目の前にある現実や将来がもっと明るくなり、大きく開けてくるのではないでしょうか?
「学校」を中心に考えると確かに現象として「不登校」というものが現れるのですが、幸せになるための教育を学ぶ場は「学校」だけではありません。自分を含めたさまざまな「対人関係」を経験するのも「学校」だけではありません。
